Suzuki Mohri 鈴木 猛利 書家
市川造園 緑 師 Midori-shi
スペシャル対談vol.01

書と造園、
創作と職能の本質。

市川造園東京作業所は、社会との多様な接点を作っていく造園業のあり方を探っている。
この度、書家としての活動を軸に「無由旗振り応援団」などの取り組みもされている鈴木猛利氏の作風と創作スタイルに惹かれ、私たちの職能を示す「緑師(みどりし)※1」を表現する書の制作を依頼した。

Suzuki Mohri鈴木 猛利

1984年、東京都墨田区生まれ。
大東文化大学文学部書道学科卒。
東京・神楽坂にてアトリエ兼稽古場、白日居(はくじつきょ)主宰。
2015年はミラノ万博・経済産業省クールジャパン ジャパンサローネにて作品展示、書道パフォーマンス。
2016年はトルコ五都市六機関巡回、ポルトガル大使館主催日本祭りにて書道パフォーマンス、ワークショップ。(後援:国際交流基金)
2017年はニューヨーク・日本クラブギャラリーで作品展示、書道パフォーマンス。
また国内外で書道パフォーマンスやワークショップを開催し、書を通して交流している。
「心正則筆正(心正しければ、則ち筆正し)」の精神で、用法のみならず、心の在り方を尊重する。

https://www.mohri-s.com

緑師
今回の依頼について感想をお聞かせください。
猛利
実際に現場の作業を見学させてもらえたこともあって、気が入りやすい仕事でした。それもあって、シンボルマークとなる”緑”の一文字だけで終わらせず、緑師を表現する言葉(詩)の部分は添えたかった。
緑師
私たちに言葉を添える発想はありませんでした。
猛利
前半で示した“天より頂き 地から立つもの”という一文は、緑のことだけではなく人のことも表しています。これは、“頂点立地”という私のお気に入りの言葉から引用しており、普段は筆の正しい持ち方を伝えるために使っています。一方で、台湾茶道における美学の一つとして用いられている言葉※2でもあり、自分自身は自然の中の一部であることを忘れないことが大切だという意味合いが込められています。これが緑師のイメージとも当てはまりました。後半は現場作業に参加させてもらった時に思いつきました。剪定をすることで樹冠内※3や足下に光を入れている、という考え方はとても印象的で、“光を操る人たち”といったイメージが伝わるような表現を入れたかった。
緑師
剪定によって木漏れ日を作る、光を入れることで足下の草花も育つということを日常的な管理の中でやっていますが、その行為が“光を操っている”とは考えたこともありませんでした。
猛利
“息吹く鋏の音”という一文は、鋏を使用したときに鳴る音の美しさを表すとともに、皆さんが使用している鋏が伊吹刈鋏(いぶきがりばさみ)※4であることにかけています。鋏の音も美しく、それによって光が入っていくという一連の流れも美しく思えました。
緑  「天より頂き 地から立つもの 息吹く 鋏の音 光 差し入る」  猛利 書

書家としての鈴木猛利

市川造園東京作業所のプロジェクトの一つに、造園業に関連する産業とのコラボレーションがある。
その具体案として、造園業の装束でもある半纏の制作を企画している。
半纏の背中に入れる文字を書家に依頼することで、より社会との接点が増やせると考えたことから今回の企画につながった。

緑師
様々な点をふまえて検討した結果、猛利さんに依頼する流れとなりましたが、決め手となったキーワードは“品格”、“本質”、“道具”の3つです。ご自身のホームページで白井晟一※5の言葉を引用されたり、道具との関わり方についてもコメントされていたり、メッセージとしてご自身の考え方を発信しておられます。
これらは私たちの考えともマッチしました。
猛利
言葉を発信したり作品として残したりする上で注意していることは、人の言葉を借りた場合であっても、違和感が出たり、説得力に欠けたりしないようにしています。そのためには、人の言葉でも一度自分に取り入れて、心から納得できる言葉を厳選しています。
緑師
今回の企画を通じて私たちが抱いた印象は、猛利さんは書の専門家ではなく、言葉の専門家であるということです。書というものは一つの表現であって、猛利さんがウェブサイト内で引用されている白井晟一の言葉「”字”を越えて、”書”はない」という考え方にもあるように、言葉を扱うことが書の本質だと感じます。言葉から入る、という点はとても新鮮でした。
猛利
大学時代は専門で書道に取り組んでいましたが、格好良さの追求と言いますか、手から先の運動しか出来ていませんでした。周りのおかげもあって、そこに疑問を持つことができ、そこから柔軟に対応できるようになったのだと思います。
緑師
書というものは格好良く書くものと一般的には思われていますが、言葉と文字と筆を操る複合的な芸術ですね。
猛利
造園は植物が成長するという点も考えなければなりませんよね。
緑師
時間軸を考慮しなければならない造園という分野は、どんな名園もガラスケースで保存することは出来ないため、ファインアート(純粋芸術)とは言えません。書も実用的な側面を芸術に昇華させたという点では、造園や建築と同じようにアプライドアート(応用芸術)に分類されるのかもしれません。
猛利
書家や庭師といっても、色々なことに取り組んでいます。自分が何者かを名乗る際に、肩書があると説明はしやすいですけれど、表面的にしか見られない傾向があります。ホームページなどで伝わればいいかなと思っています。

無由と留白

鈴木猛利氏は「無由(むゆう)」や「留白(るはく)」という言葉を大切にしている。
この言葉に込められた意味や想いについて伺った。

猛利
無由という言葉には、人を助けることに理由は必要無いという意味を込めています。これは、白居易(はくきょい)の五言絶句※6から引用したもので、復興支援イベントの茶会で書を担当したのがきっかけです。震災や台風などの自然災害が起きる度に、自分に何かできることはないかと無由のプロジェクト※7に取り組み始めました。人が何かに向かって進もうとしているとき、一番初めに感じた想いを優先して動いていいのではないか、という意味もあります。
緑師
社会人になると欠落しがちな点ですね。例えば仕事の上では、なんとなくやってみたということは基本的には許容されていません。何かしら理由がなければ進めない、そこが足かせになってしまうケースもあります。
猛利
人のために何かしたいという気持ちはとても純粋で、誰にも迷惑をかけない想いであるはずなので、理由をこじつけて結果的にやらないという判断に至るのはもったいないと感じています。これまでに無由展を開いて収益を寄付する活動をしていますが、今は無由の精神を持った人たちが増えてくれれば良いと思っています。現在は、荒川河川敷で電車に向かって旗を振って応援する“無由旗振り応援団”という活動をしており、発起人の田中裕久さん※8と私だけだったメンバーも今では20人くらいになりました。※9
緑師
無由という気持ちがあるから出来ることなのでしょうね。深く理由を考えたら続かないことのように思えますし、何も気負うことなくやることでかえって思いが伝わることもあるように思えます。
猛利
人の繋がりが薄くなってしまっている中で、同じ想いを抱きながら新しいコミュニケーションが取れていることは、とても良い方に向かっていると思っています。興味深いのは、気持ちの込め方でSNSでの反応が変わってくるということです。気持ちを込めると反応が良いので、何か関係しているように思えます。
緑師
仏教用語には自然(じねん)という“人間の作為のないそのままの在り方が自然である”、自然体でいることに一番の価値があるという教えがあります。そんな言葉を思い出しました。また、留白についてもお聞かせください。
猛利
中国では余白のことを留白として用いていますが、日本語での余白とは意味が異なります。余ってしまったということではなく、意図的に空けるというイメージです。余白が悪いというわけではなく、留白の持てる余裕を今の時代にこそ持つべきなのではないかという思いです。
緑師
ランドスケープデザインや空間設計でも重要な考え方です。私たちが取り扱っている公共の造園空間の緑は、言ってみれば暮らしの留白の部分なのではないか、と思えました。緑地空間は決して余白ではなく、私たちは留白の部分を担っていると思えてとても励まされた気持ちです。

書家の本質、造園業の本質

造園業はそもそもサービス業であり、仕事と社会貢献がリンクしやすい。
一方、書家は芸術家としての側面も強い。そうした点をふまえ、鈴木猛利氏の社会貢献のビジョンについて伺った。

猛利
無由や旗振り応援団のプロジェクトは、自分が社会貢献をしているという意識はそれほどありません。
まず自分がやりたいから、楽しいからという気持ちが第一にあります。私は書家でありますが、字を書くだけの人とは思われたくありません。様々なプロジェクトも、鈴木猛利という個人がこうした思いで取り組んでいる、と説明されるようになりたい。私は、字を書かなくとも、無由という言葉の意味につながることが出来るのであれば、それでいいと考えています。
緑師
私たちも似たような思いがあります。私たちが考える造園の本質は、“人と自然の関係をつくる”ことだと考えていて、それがブレなければ何をやっていても造園の仕事だと捉えることが出来ます。庭師や書家などの肩書きの概念に縛られてしまい、本来なら活躍できた機会を失ってしまうのはもったいないので、私たち個人を評価してもらえるようになるのが理想ですよね。少し話は戻りますが、無由のプロジェクトで募金につながる活動をされておりますが、この点についてもお話をお聞かせください。
猛利
作品を販売して、集まったお金を台風などの被害を受けた自分に縁のある地域に送っています。復興の足しになればと活動していますが、今では金額の多さではなく、その人たちを思うことの方が大事だと考えるようになりました。しかし、被災地にとってはやはりお金も必要ですから、そのバランスには気を使っています。
緑師
市川造園でも、社会と繋がっていく方法の一つとして、災害時に逸早く社会の役に立てるように工事道具や重機等を拡充するように努めています。また、自分たちで使う庭師道具の伝統産業を応援するということがあります。例えば鋏や掃除道具では、安く手に入る外国産のものよりも、高いけれども品質の良い国産のものを使うようにしています。安いものに流れてしまうと、私たちの技術を支える道具の産業が衰退してしまいますので、使う側と製作する側がWin-Winの関係でやっていければ理想的ですよね。次は、箒や箕を竹細工職人さんに製作してもらうプロジェクトを検討しています。
猛利
高価なものはやはり品質が良いですよね。私も自分がよく使う身近なものは、品質が良いものを側に置いておきたいと思っています。河井寛次郎※10の「物買ってくる 自分買ってくる」という言葉は、物の選び方によって自分の価値も決まってくるという意味が込められていて、とても面白い。決して値段の高さだけで価値は決まりませんが、流行や周囲の声に流されて選択するのは少しもったいないように思えます。
緑師
造園と書の関係は、話せば話すほど接点があるなと感じました。半纏の制作に取り掛かった際には、是非ご協力をいただければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。
対談
鈴木猛利・細野達哉(株式会社市川造園 職能開発担当)
栗原裕也(株式会社市川造園 東京作業所長)
取材
2021年2月
  1. 緑師:日本の庭師の技術や知識を都市の緑(Green Infrastructure)に応用し、植物の健全な育成と空間機能の向上、都市と自然の持続的な関係の構築を目指す職人。
  2. 鉄瓶から急須にお湯を注ぐ際、お湯が鉄瓶(天)から落ちているようにも、急須(地)から立っているようにも見えるよう、真っすぐお湯を落とすことが良いとされている。
  3. 樹冠:樹木の上部で葉が茂っている部分
  4. 伊吹刈鋏:細かい剪定を可能にする刃先の細さが特徴的な木鋏。市川造園では新潟県三条市の鋏鍛治、平 孝行氏によって製作された伊吹刈鋏を使用している。 平木鋏製作所:https://kajidojo.com/meister/tairakibasamiseisakusyo
  5. 白井晟一(1905-1983):日本の建築家。装丁家。書家。作品に渋谷区立松濤美術館など。
  6. 白居易(772-846):唐代中期の漢詩人。五言絶句は漢詩の形式の一つで、1句に5語、全部で4句20語の最も短い詩形のこと。
  7. 無由のプロジェクト:鈴木猛利ウェブサイトhttps://www.mohri-s.com/muyuuに詳細。
  8. 田中裕久:マンガ教室「いるかM.B.A.」代表/マンガ編集者
  9. この取り組みは最終的に100名の同志を集めるまでになったそうです。2021年7月現在は行われていません。
  10. 河井寛次郎(1890-1966):日本の陶芸家。彫刻、デザイン、書、詩、随筆などの分野でも作品がある。
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